あなぐら@日本語版を比較してみる(Hur gick det sen?編)

トーヴェ・ヤンソンによるムーミン絵本第1弾、スウェーデン語版のHur gick det sen?を手にとってみて、ふと気になりました。はて、日本語版は一体どうなっているのだろう、と。

「Lilla Bokhandeln」あらため「Lilla Katten」としてリニューアルオープンをするべく、今まで販売していた絵本のデータやら写真やらの更新作業を行っています。

その中で商品撮影をするために手にとったトーヴェ・ヤンソン(Tove Jansson)によるムーミン絵本第1弾、スウェーデン語版のHur gick det sen?を手にとってみて、ふと気になりました。「はて、日本語版は一体どうなっているのだろう」と。

便利な時代です。何度かマウスの左ボタンに置かれた指をカチッと下に何度か押しこむだけで3日後には新品同様の「Hur gick det sen?」の日本語版である「それからどうなるの?」が自宅のポストに投函されていました。

オリジナルのスウェーデン語版と日本語版

さて、オリジナルのスウェーデン語版と日本語版を比べてみた所感を述べてみたいと思います。(ちなみに翻訳文の内容については今回言及しませんよ)

トーヴェは日本語版の出版を喜んだだろうか

もちろん、利益の生みにくい外国語絵本の翻訳事業には多くのハードルがあることは想像に難くありません。出版社や翻訳者の方への敬意も持っているつもりです。

しかし、この「Hur gick det sen?」という絵本の日本語版を出版するにあたり、「この絵本の良さを正確に伝えるための努力をきちんとしたのかな?」という残念な感情を抱いてしまいました。

両方とも表紙には穴が空いています

この絵本のオリジナルである「Hur gick det sen?」は”しかけ絵本”になっていて、ページのところどころが切り取られています。

「Hålen är klippta hos R&S(この絵本の穴は出版社が切ったんだよ!)」とスウェーデン語で書かれている原書通り、日本語版でも表紙はこの仕掛がきちんと継承。ちなみにR&Sというのは「Rabén & Sjögren」という出版社の頭文字ですね。

日本でも有名な「はらぺこあおむし」というエリック・カールのしかけ絵本が出版されていますが、同様に「Hur gick det sen?」では各ページに穴が空けられています。

日本語版は自分で切り取らなくてはいけません

しかし、日本語版でしかけ絵本としての穴を表現を継承しているのは表紙のみ。残りのページについては自分で切り取らなくてはいけません。

きりとりせん…

素直に用意された「きりとりせん」に沿って切ればいいのでしょうけれどもね。しかし、手間だったり本を切ることの抵抗感もあるので、この線にそって絵本を切り取ることをする読者は多くなかったのではないかと思います。

もちろん、自分で穴を空けるという作業を通すことで、この絵本により一層の愛着を持つことができる読者もいるかと思いますが、多くの読者がこの「きりとりせん」の向う側にある素晴らしさに気が付けないハズです。

この絵本の命は「きりとりせん」の向こう側にあり、「きりとりせん」に沿って絵本を切り取らないと、本当にトーヴェ・ヤンソンが表現したかったこの絵本の楽しさは伝わらないのです。

左が日本語版「それからどうなるの?」、右がスウェーデン語版「Hur gick det sen?」

トーヴェはきちんとページに穴が空けられることを計算して絵本の構図を決めていました。

上記の画像を見れば分かるように、ページをめくると穴を通して前のページのミィが見えるように計算して絵のレイアウトがされているため「Hur gick det sen?」ではミィの姿が見えます。しかし、日本語版の「それからどうなるの?」をそのままパラパラとめくっても、このページ越しに見えるミィに出会うことはできず通りすぎてしまいます。

この他のページでも、次のページへのストーリー展開をわくわくさせるためにトーヴェが計算して配置した穴がすべてのページにあるのですが、日本語版では「きりとりせん」に沿って切り取らないとその楽しさを享受することができないのです。

さて、トーヴェ・ヤンソンがこの「Hur gicke det sen?」という絵本で本当に表現したかったものは翻訳版で伝わるのでしょうか。

この翻訳版が出版された裏側を深読みしてみる

ちなみに2016年7月現在において、ムーミンの人気がこれだけ高まっているにも関わらず「それからどうなるの?」は絶版になっています。

なんで穴を空けて出版しなかったかな。出版費用を節約するためだったのかな、とか(これは完全にビョルネンの頭のなかのファンタジーですよ?)。だとすれば、穴の空けられているデラックス版みたいなものも用意して、消費者の予算に応じた選択肢を与えるとかの工夫もできたはずなんです。

「はらぺこあおむし」も穴が空いたしかけ絵本でなければ、決してここまで日本での知名度を得ることもできなかったでしょう。この「Hur gick det sen?」だってきちんと最初から穴が空けられていた翻訳版が作られていれば、日本でもっとロングセラーになっておかしくないポテンシャルを秘めているはずなのです。

スウェーデン語絵本の翻訳本は知らないところで実はたくさん出版されているのですが、いずれも短命で終わっているケースがとても多い気がします。

言語の翻訳はもちろん大事ですが、もっと大事な「情緒」というものを翻訳し忘れているような気がしてならないのです。情緒の翻訳を忘れてしまって、オリジナルで本当に表現したかったものが蔑ろ(ないがしろ)になってしまうケースが多い気がします。

オリジナル版の情緒が伝わってこない

日本語版の出版に際して残念ポイントになりがちなのがフォント。日本語は文字の種類が外国語のアルファベットに比べるととんでもなく多いので、既成フォントの種類は限られてしまいます。しかし、このゴシック体の日本語フォントオンリーの無機質な印象もなんとかならなかったのかな。誰かヘタウマな手書き文字で描いてもらえばよかったのに。

決して翻訳者さんを責めるわけではありませんよ、翻訳者さんには翻訳者さんの仕事がありますので。だからこそ文章を翻訳される翻訳者さんとは別に、情緒を翻訳するためのデザイナーさんなんかを翻訳絵本出版プロジェクトに入れてもいいと思うんですよね。

デザイナーさんをプロジェクトに組み込むオカネが無いのであれば、可能な範囲のメンバーで少しでも情緒をうまく翻訳するための工夫をしたという姿勢を見せてほしい。工夫するだけでいいのです。

単純に「北欧で人気の絵本を日本語に翻訳すれば売れるだろう!」という流れで出版をして、せっかくの名作を駄作で終えてしまう。そんなケースが今後減ってくれればいいな、と北欧絵本のイチ消費者として願います。

最後に

と、ここまで書いておきながらですがフォローを。

なんだかんだ言って、マイナー言語である北欧語の絵本を日本語に翻訳して出版するって大事なことですし、少しでもその存在に日本語で触れる機会を増やしてくれているのだから、ありがたいことですよ。

大学の研究室に大量に並べられていた、昔むかしに翻訳されたスウェーデンの児童書に目を通しながら「こんな古い日本語で翻訳されても楽しくないし!」とか思っていましたけどね。でも、その翻訳の歴史が積み重なった上に自分たちがスウェーデン語を勉強するための土台が作られていたわけですから。

特に自分は英語できないし、スウェーデン語から日本語訳された本とか文献とかは非常にありがたかったです。

しかし言語も生き物であり、日本語も昔と比べれば変化しているもの。経済的な背景が許すのであれば、時代に合わせたカタチでのアップデートする時期というものを考えてみるのもいいと思うのです。

ロッタちゃんとか、ロッタちゃんとか、ロッタちゃんとか。

山室静さん、そろそろいいですよね?(ビョルネンは翻訳とかできませんケド)

mvh ビョルネン・ソベル

リッラ・カッテンの絵本、雑貨、あと雑用を担当。本を読むことよりも、大量に並んだ背表紙や古い本の雰囲気が好き。つまり、あんまり本は読みません。葛飾出身の日本人。インスタグラムは「@lillakattenpaper

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