短い生涯で多くの幻想的な作品を残した「John Bauer 」
20世紀初頭にスウェーデンで活躍した一人に「
ストックホルムの美術学校と、ヨンショーピングの森
1882年、スウェーデンで2番目に大きな湖であるヴェッテルン湖の南端に位置する
ストックホルムでは7年ほどの間、
美術学校の級友であるエステルとの結婚
1906年、ヨン・バウエルは
1907年には「
1915年、夫妻の間には
「Bland tomtar och troll 」の挿絵家として得た名声
当時、1900年初頭にはまだ子供向けの読み物が多くなかった時代、せめてクリスマスの時期にでも子供が楽しめる読み物を与えようという思想の下で「
雑誌名のとおり、掲載される物語のほとんどは妖精やトロールを中心に扱った作品でした。ヨン・バウエルの描いた幻想的な自然、妖精やトロールのイラストは、スウェーデンにおける彼の名を一躍有名なものとしたのです。
なかでも有名なのは、「Sagan om älgtjuren Skutt och lilla prinsessan Tuvstarr(雄のヘラジカスクットと小さなお姫様テューブスタッルのお話)」という作品で描かれた挿絵。物語そのものよりも、ヨン・バウエルによる挿絵の方が知名度が高いともされています。
上記の絵は「Ännu sitter Tuvstarr kvar och ser ner i vattnet」というタイトルが付けられているもので、日本語では「テューブスタッル姫はいまでも座って水のなかを眺めている」といった意味になります。沼に落としてしまった金のハートが付いた首輪を見つけようと沼のほとりに座っていつまでも探し続けているシーンです。
そして、カールした金髪からも伺えるようにこのテューブスタッル姫のモデルは妻のエステルだったとされています。このようにヨン・バウエルの作品には彼自身の家族がモデルとなったキャラクターが時折登場しました。
ヨン・バウエルの一家を襲った悲劇的な結末
仕事にのめりこむヨン・バウエルに対して、そしてヨンショーピング郊外の田舎暮らしという住環境に対して、妻のエステルは次第に不満を募らせるようになりました。互いの溝が深まる環境を変えるべく、ついにエステルの念願であったストックホルム郊外にある
引っ越しのころに大きな鉄道事故があったため、それを警戒して船での移動をすることにしました。1918年11月20日、ヨン、エステル、そしてプッテの一家3人はストックホルムに向かうため、地元の港からヴェッテルン湖を渡る船に乗り込みます。しかし、その日は酷い嵐の日であったこと、そして船に載せられた荷物が多すぎたことから、船は転覆してしまったのです。一家を含んだ乗員24名は帰らぬ人となりました。ヨン・バウエルが36歳のときでした。
湖底に沈んだ船は4年後に引き揚げられ、有料公開されましたが、人々の間にはヨン・バウエルの突然の死と妖精やトロールたちの迷信を結びつけるような噂も流れたようです。
ヨン・バウエルの作品が展示される県立美術館
スウェーデン第2の規模を誇る
それほど大きな都市ではありませんが、首都ストックホルムと第二の都市ヨーテボリのちょうど中間に位置しているので、ついでに立ち寄ってみるのもいいですね。