18年01月27日(土)はれ。今日一日、お店であったあんなことやこんなことだったり、思ったことなどを綴ります。
今日のリッラ・カッテン
本日の営業時間前半は店長によるスウェーデン語初級A、そして後半にはスウェーデン語コミュニケーションカフェ(昼の部)が。後者は今日が初めての開催ということもあり、先生役となるスウェーデン人のSimon(シーモン)も当店で初めてのスウェーデン語レッスンということで、それはもう念入りに準備をしてその時に臨みました。
…ということはなく、個人的にはいつもどおり(何も準備してない)。レッスンとは言っても「スウェーデン語で会話を楽しみましょう」というコンセプトなので、その場の流れに合わせて内容をコントロールすればいいかなって。特に何もテーマを決めず、とりあえずシーモンに対して参加者各々がスウェーデン語で自己紹介して、それからシーモンの出身地のハナシをしてもらって、といった具合で進みました。
今日は自分と店長もその場に参加させてもらっていたのですが、シーモンと参加者さんの言語的な橋渡し役をしたり、シーモンの話す内容から面白そうな逸話を引き出したり、それだけでも十分に勉強になります。印象的だった逸話は、スウェーデン人にとってのミドルネームのハナシ。「ミドルネームって、なんであるの?」とか「ミドルネームって、面倒じゃないの?」とか。どうでもいいことだけれども、ちょっと気になることを質問してみました。
シーモンもスウェーデン語をちゃんとゆっくり話してくれますし、日本語で質問をしてもほとんど理解してくれるので、予想以上にいい先生ぶり。参加してくださったマタタビさんたちも楽しんでくれたようですし、ちょっとマジメなことを言えば、今日スウェーデン語で言いたいことが言えなかったというフラストレーションをバネに、スウェーデン語学習へのモチベーションに繋がるといいですね。
シーモンからの感想としては「最初は緊張していたけれども、雰囲気もとてもリラックスしていて楽しかった」と言っていました。ついでにいえば、レッスン中に食べていたプリンセスケーキを「スウェーデンと同じ味がする」と評してくれましたし、彼が楽しんでくれたこともよかったです。
4月にスウェーデンに帰ってしまうのが残念ですが、2月は10日、17日、24日(いずれも土曜日14時予定)の3回開催することができそうです。
ちなみに次回のコミュカフェの申込ページは作っておきました。この会の性質的に、スウェーデン語をまったく勉強したことがないという方にはキビシイかもしれませんが、スウェーデン人とスウェーデン語で話せる機会がないとお嘆きの方どーぞ。
今日のまっしぐら
コミュカフェに参加してくださったマタタビさん、ベェさんが、ご自宅になった植物の実を持ってきてくださいました。店長が何の実か尋ねると、”アオキ”という植物とのこと。そんな名前の植物があったとは。
その名前を聞いた瞬間、自分のアタマのなかは完全に「うちってやっぱりなんかへん?」に。金沢八景駅前のパン屋よりも、伝説的プロゴルファーよりも、「うちってやっぱりなんかへん?」が思考のゴールテープを一等賞で駆け抜けました。
せっかくなので、絵本の紹介ページへのリンクを貼っておきます。どういうことかワケがわからない方は、ぜひリンク先の内容をご参照くださいませ。
本日の駄文:今日もまかないシナモンロール
ライムスター宇多丸氏が司会のラジオ番組「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」が終了するという情報を先ほど知りました。
最近はまったくと言っていいほど聴いていなかった番組なのに、なぜここで言及しようと思ったかというと、自分が一人暮らししているときから放送されていた番組だったから。
自由が丘から徒歩10分もしないところに東急目黒線の奥沢という駅があるのですが、かつてその駅からほど近い線路沿いのマンションの1階のワンルームに一人暮らししていました。マンションといっても、アパートとマンションの中間のような物件でしたけど。
いまもそうですが、当時もテレビを持っていなかったため、その部屋では世の中の情報源として専らラジオを聴いていました。しかしいまのようにラジオをネットで聴けるような仕組みがなかったため、自分でラジオのダイヤルを合わせないとラジオが聴けない時代でした。しかも電波の入りが悪く、ラジオを窓際の特定の場所に置かないとノイズがひどかったり、雲の厚みによって音の入りが悪かったり、ラジオとはかなり濃密なアナログな関係を築いていました。
ちなみに当時使っていたラジオはオレンジ色のシャワーラジオで、夜にシャワーを浴びるときにはユニットバスまでそのシャワーラジオを持っていき、やはりバスルームの特定の場所に置かないと電波が拾えなかったことも覚えています。
土曜日の夜、そんな時代から今まで続いていた番組が「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」だったのです。この番組の熱心なリスナーではありませんでしたが、この番組を聴きながら過ごしていたあの部屋の光景はいまでもぼんやり憶えています。
その部屋には半年ほど住まなかったのですが、自分の人生においてなんだか印象的な時代でした。当時の記憶を現在とつないでくれていた番組の終了、歳は勝手に重なるものですね。
ビョルネン・ソベル