ビョルネンは時間泥棒@19年03月05日(火)

スウェーデン洋菓子店のブログのようなものですが、スウェーデンがまったく関係ない話題ばかり。

「御魚ギャラリー」展示内容

  • 19年02月05日(火)~19年03月30日(土)
    『日本語に翻訳されたスウェーデン絵本展』

店内イベント

店外イベント

スウェーデン語教室

今後のガイダンス開催予定日(いずれも16時~17時)
  • 【03月】09日(土)/14日(木)/28日(木)/30日(土)

今日の時間泥棒

ほぼ初めてチケット取った

え、今日はセムラの日?もうセムラのハナシはいいよね。

というわけで、今月の「かつぶし新聞」の雑記で仄めかしていた、あるラジオ番組の舞台版は「劇場版ロケットマンショー」でした。

アレを書いていた時点ではチケットが発売される前だったので、実際にチケットが入手できるかどうか未確定の状態でしたが、こうして無事にチケットを手に入れることができたのです。

日曜日の朝10時から受付ということで、店長にはいつも休日には10時に設定されているマディッケン時計を9時50分にセットしてもらい、10時ジャストらへんからパソコンの前にスタンバイしました。

「さすがに即売り切れということはない…よね」という、大丈夫なような大丈夫じゃないような、不安と共にローソンチケット内の販売ページへ。ポチポチと必要な情報を入力して先に進んでいくと、やがて「ただいま大変混みあっております。お戻りください」の文字と共にほぼ真っ白な画面が。

ロケットマンショーという番組に思い入れがある人間が少なくないであろうことは分かりますが、そんなチケットセンターのシステムをダウンさせるほど殺到するわけないだろ、と。きっと、同じタイミングで他の人気公演のチケットが発売になったんじゃないかと思いますが、どうにもチケット購入ページまでたどり着けない。

外は雨が降っていたし予定もしていなかったけれども、仕方がないから近所のローソンの発券機まで足を運ぶことにしました。ローソンまでの移動のあいだに仮にチケットが売り切れになってしまうとしても、やれることはやっておきたい。

結果、とくに面白いオチもなく無事にチケットを購入できました。人生で初めて舞台とかのチケットを手配した気がします。

過去に何度か言及していますが、「ロケットマンショー」はJ-waveの土曜深夜25時から29時まで放送していたラジオ番組です(放送開始から何度か放送時間は変更されているけれども)。深夜にも関わらず、生放送でした。

チケットにはバッチリと「ふかわりょう」の名前が書かれていますが、ロケットマンショーにおいては彼は基本的に「ふかわりょう」とは名乗ることはありませんでした。そして共演者である「平松政俊」は放送作家。ラジオにはよくありますが、相槌役として登場していました。

ラジオにおける相槌役って、結構大事で。たとえばメインパーソナリティーが過激な発言をして笑いを取りに行っても、「そんなことないですよ」の一言を加えてくれることで場が落ち着くというか。平松さんのお蔭でロケットマンショーの”舵取役”として、番組としての絶妙なバランスが取られていたわけです。

深夜のFM放送ということもあり、ロケットマンショーはふかわりょうの本音だったり、世に思うことをストレートに発信できる場として彼の重宝していたようです。テレビに出る側の人間でありながら、ときには一人の人間としてストレートな意見も述べていました。

たとえば「ジャスティス・ハラスメント」という言葉。正義を振りかざしてはいるものの、それが逆にハラスメント(嫌がらせ、いじめ)になってしやいないだろうかという疑問から出てきた言葉です。

うまく説明するにはどうしたらいいかと考えていたら、ふかわりょう本人のブログに書いてくれていますので、そちらのリンクを。ここでは説明しませんので、ぜひ本人による解説をお読みください。

実際にふかわりょう氏の提唱する「ジャスティス・ハラスメント」の定義を読んで、腑に落ちない方もいるでしょうが、100人いたら100人が理解してくれるとはきっと思っていません。だからこそ共感できる人間同士の連帯感が生まれるわけで。

この記事が書かれているのが2013年ですが、物凄くココロに残った言葉でした。いまだにSNSで誰かが上げた不満に対して、みんなで寄ってたかって「そうだ!そうだ!」とお祭り状態になってしまうケースが目立ちますが、その様子を目にする度にこの「ジャスティス・ハラスメント」という言葉が脳裏をよぎるのです。


マスコミが面白がってそういうのばっかり取り上げるから、火に油を注いでいるという問題もあるでしょうけれども。「その不満、数か月後にも記憶に残ってます?」と言いたくなりますね。

「まあ、たしかに自分もあんまり記憶には残っていないですねぇ」

たとえば、どこかのお店に不満があれば、自分がもうそのお店に足を運ばないようにすればいいし。自分が勤めている会社に不満があるなら、転職活動をすればいいし。何かを取っ掛かりにその不満が世の目に留まり、一大ムーブメントを起こして、マスコミに取り上げられる。その活動に自分も加わったという達成感が気分いいのかもしれませんが、個人的には何も生んでいない気がするんですよ。

「でも、プライベートで。たとえば仲間内とかで不満を言い合ったりすることはあるわけじゃないですか」

SNSで不満を披露するのはいいと思いますけど、せめてクローズドアカウント(友人のみが閲覧できるアカウント)のなかでやってほしい。たとえばカップ焼きそばに虫が入っていたとかでも、もちろんそれは衛生管理に対する問題提起としてムダではないのだけれども、かつては当事者同士で済ませていた問題だったかもしれないし、SNSが登場する前の時代でも別に不満なくみんな生きていけていたじゃないですか。

「たしかに世の中、たとえば企業なんかのほころびがあまりにも可視化されすぎてしまって、潔癖な感じにはなってるかもしれませんよね」


…みたいな。そういう発言が許されるラジオ番組だったんです。深夜に繰り広げられる現代社会に対する哲学なんかを問わず語る3時間でした。ちなみにカギカッコで括った部分はバーチャル平松さん(仮想相槌役)。思い付きで後から入れてみた。やっぱり相槌が入るとマイルドになっていいですね。暴言に相槌、コーヒーにクリープ。

自分がリッラ・カッテンがどうあるべきかを考えた時に、ロケットマンショーの存在は大きく影響したと思います。まずは「100人中20人くらいが気に入ってくれればいいな」くらいの感覚、ただしその20人にとっては掛け替えのない存在となる店。そんな深夜ラジオのような存在を目指したかったのです。

いまの時代、個人経営の店で「みんなに好かれる店」を目指したら長くて5年で潰れると考えていましたから。店長と自分という駒しかないなかでどうすれば30年続く店になれるか、無いアタマを捻ってはみたんです。店が10年いまの場所に在り続けられたら店づくりに関してエラそうにいろいろと語れる日が来るかもしれませんが、もし10年続かなかったら墓場まで持っていきます。

さあ、5月1日。下北沢は大学の時に乗り換え駅としてしょっちゅう通っていましたし、街も歩いていましたが、実際に劇場に入るのは初めて。自分には珍しく、楽しみなことができました。

リッラ・カッテンの絵本、雑貨、あと雑用を担当。本を読むことよりも、大量に並んだ背表紙や古い本の雰囲気が好き。つまり、あんまり本は読みません。葛飾出身の日本人。インスタグラムは「@lillakattenpaper
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