スウェーデンへの留学を目指した噺(2)
前回はコチラ。
スウェーデンへ向かう途中のトランジットにて、ロシアでトランジット”ホテル”というにはあまりにも粗末な扱いをされた一日を過ごしました。この辺のハナシは「無知が祟って、ロシアで軟禁状態になった噺」にて。
目的地であるスウェーデン第二の都市、ヨーテボリ。トランジットホテルの部屋に入れられたところまではなんとなく覚えているけれども、その後にどのように解放されて、どのような経路でヨーテボリに到着したか。そこまでの記憶は残念ながらありません。
記憶の再開はヨーテボリに着いてからとなるわけですが、とりあえず憶えているのは空港の外に雪が降っていたこと。そして自分のスーツケースが到着荷物のベルトコンベアになかったこと。
英語もままならない。スウェーデン語も嗜む程度。ヒトとのコミュニケーションが苦手。この三重苦的な状況でどのように切り抜けたんでしょう。でも、人間ってなんとかできるものです。
さて。断片的な記憶は、スーツケースがないままホームステイ先へ着いたところまで飛びます。ホームステイの場を提供してくれたのは、自分のスウェーデン語の先生であるペートラの旧知であるヤン・ブレッテさん。
ちなみにスペルは「Jan」と書いて、「ヤン」と発音します。ウチの母親に「”ヤンさん”のウチに泊めてもらう」と話したら、「ヤンさんって、中国人?」と言われましたが、スウェーデン人です。
ジョンがジョニーと呼ばれたり、ニコラスがニックと呼ばれたり、英語名でも愛称で呼ばれることが多いですが、スウェーデン人の名前もしばしば愛称で呼ばれることがあります。ヤンさんもその例に倣って「ヤンネ」と呼ばれていました。
まだ出会ったばかりのヤンネにスーツケースがロストしている状況を説明。するとヤンネは航空会社かどこかに電話でも掛けて確認してくれたのでしょう、次の日にはスーツケースが届くと教えてくれたと記憶しています。
結果的に、スーツケースはそれほど日も掛からずに届けられました。ロストバゲージを体験したのは初めてだったので、ちょっと楽しかったかも。このような体験は意図して起こせるものでもないでしょうし、どうあれ外国の地でそれを乗り越えたのは良い人生経験と言えるでしょう。
現在の日本の北欧ブーム(第3次くらいでしたっけ?)をもたらしたきっかけとも言えるであろう、フィンランドを舞台にした映画『かもめ食堂』のなかにも主要登場人物の一人がロストバゲージの憂き目にあっていますが、その気分は経験者にしかわからないでしょうね。いろいろと経験させてくれてスパシーバ、エアロフロート(皮肉)。
自分に割り当ててくれた部屋は6畳ほどの部屋で、テレビも置いておいてくれました。この部屋に2週間ほど滞在し、ここから「
このときはまだ希望に満ちていたんだろうな(笑)。
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