スウェーデンおもひで噺 #02「体操服がきっかけで、人生が変わった噺(1)」


体操服がきっかけで、人生が変わった噺(1)

「いや、別に理由はないです」

なぜスウェーデン語を始めたのかという類の問いに対して、いつもそう答えます。

本当はもっとドラマチックな、たとえば「一度、スウェーデンに行ってみて感動して…」とか、「好きな映画の舞台がスウェーデンで…」とか、そういうのを期待されているのかもしれませんが、実際別に理由があったわけではありません。

そもそも最初は大学に入ったらフランス語をやりたかった。しかし、この「フランス語をやりたかった」というのも、社会的モラトリアム期間を獲得するための口実に過ぎず、本当は大学なんて行く気がそもそもなかったわけで。ありがちな「周囲がとりあえず大学に行けと言うから」というヤツです。なんとなく大学3年生の夏前あたりから「受験しようか」という気持ちになってきたんじゃないかと思います。

大学に行った方がいいと言われても、べつに勉強したいこともなかったので、消去法で一番ラクそうな文学部を。しかし、本もほとんど読んだことなかったし、国文に興味がなかったので「どうせなら外国語やりますか」という軽い気持ちで大学を選ぶことになりました。

その結果、なんとなくフランス語が専攻できる大学を進路希望先として挙げることに。なぜフランス語にしたかというと、当時ちょっと流行っていたフランス映画監督のリュック・ベッソンの映画を観たから。グランブルー、レオン、TAXIとか。それだけ。

順当にいけば英語を学ぶべきでしょうけれども、英語を学んだところで全国の英語の成績が優秀な人間なんて山ほどいるだろうし、英語圏の文化にほとんど興味がなかったので、英語を専攻する気はまったくありませんでした。

とりあえずフランス語にしようということを決めてみたものの、関東近郊で専門にフランス語を学べる大学は意外と少ないもので。現在は状況が変わっているかもしれないけれども、自分が受験当時に調べた結果では、青山学院大学、学習院大学、明治学院大学、玉川大学、それらの大学でフランス語を専攻できるということでした。

しかし、ここで問題が。雨が降れば登校をやめ、風が強い日には遅刻をし、午後には誰にも言わずに帰ってしまうような、まるでカメハメハ大王を体現するような高校生活を送っていたわけです。学年で一番学校をサボっていたような人間だったので、当然勉強はほとんどしていなかった。

そんな人間が「この大学に入りたいから」と言って、簡単に入学できるような大学ばかりではないわけです。偏差値的に、青山学院大学、学習院大学は望み薄。明治学院大学は運がよければ。玉川大学は「まあ、合格できるだろうね」みたいな感じでした。

そこで希望校に対して口をはさんでくれたのが当時の担任のフジイ先生。とりあえず自分が受かりそうな、スベり止めとなる学校を一緒に探してくれて、フランス語専攻以外の2つの大学を受験することになりました。

ひとつは目白大学の人文学部。もし関係者の方が見ていたら申し訳ないし、自分も受験した身ですが、人文学部が何をする学部なのか、まったく知りません。でも、とりあえず受験することになりました。受験さえすれば、誰でも入れてくれるレベルの偏差値だったんでしょうね。

そしてもうひとつが東海大学の文学部、北欧文学科です。余談ですが、東海大学の文学部北欧文学科は学部編成が再構成されてしまって、現在では”文化社会学部北欧学科”になっているようですが。まあ、合格する可能性は70%程度といったところ。

なぜフジイ先生が東海大学を勧めてきたかというと、先生自身の母校だから。そして「フランス語も北欧語も、似たようなもんじゃん?」みたいなノリで紹介されたのでした。

大学に関する情報に疎い自分でも、箱根駅伝に出場している大学として、なんとなく東海大学の名前は知っていたし、まったく知らない大学を受験するよりはおもしろそうだと。

ソムリエの提案してきたワインを「じゃあ、それで」と返すかのように、それはもうスムーズに東海大学が受験先の一つとして決まったのです。

長いので、つづく。

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リッラ・カッテンの絵本、雑貨、あと雑用を担当。本を読むことよりも、大量に並んだ背表紙や古い本の雰囲気が好き。つまり、あんまり本は読みません。葛飾出身の日本人。インスタグラムは「@lillakattenpaper
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