スウェーデンおもひで噺 #01「無知が祟って、ロシアで軟禁状態になった噺」


無知が祟って、ロシアで軟禁状態になった噺

初めて一人でスウェーデンへ行った時のこと。無知だったが故に体験した面倒な出来事です。

大学2年生のとき、研修旅行として初めてスウェーデンへ行きました。それから日本へ帰ってから、改めてスウェーデン語を勉強し、今度は一人でスウェーデンに行くことにしたのです。

現在ほどまだインターネットが充実していなかったものの、インターネット経由で航空チケットが取得できるようになりはじめた頃だったように思います。2002年くらいだったかな。

旅行代理店の窓口で航空チケットをオーダーするよりも手軽なので、自分も思い切ってインターネットで航空チケットを入手することに。

当時はまだこのホームページが無名だったので、「こんなふざけた名前のホームページで、本当にチケット取れるのかな?」という印象を受けたのを覚えていますが、いまではテレビでCMまでしているようですね。「トラベルコ」というホームページでチケットを取りました。

まだ学生だったし、とにかく安ければなんでもよかった。そんな自分が選んだのはロシアの航空会社、エアロフロート社のモスクワ経由でコペンハーゲンへ向かうチケット。モスクワの空港で一晩待たなくてはいけないような時間割になっているものの、安く飛べるのであれば甘んじて受け入れようではないか。

「とにかく乗り継ぎの飛行機が飛ぶ次の日まで、空港でぼーっとしていればいいんでしょ」と楽観的に考えていました。しかし、これが後に問題を生むことになるわけですが。

フライト当日。家族で国内線に乗ったり、海外に行ったことがないわけでもないので、飛行機に乗ること自体は慣れているもの。特に問題なくモスクワ行の飛行機に乗りました。

モスクワまでの飛行機内で隣に座ったのはフランス人。たしか、フィリップさん。気さくな方で、お互いに拙い英語で何度かコミュニケーションを重ねて、ちょっと仲良くなる。

モスクワに着くと、彼は「自分も飛行機の乗り換えがあるから、そこのパブでちょっと時間をつぶそうよ。驕るから」と提案してくれました。自分はアルコールが飲めないけれども、乗り継ぎ時間までの退屈しのぎにはちょうどいいかと思い、お言葉に甘えることにしました。

彼とはお互いの連絡先を交換することもなく、そのモスクワの空港で別れました。彼は乗り継ぐべく飛行機へ。自分はまだまだコペンハーゲン行の飛行機までたっぷり時間がありますが、学生なので空港内の飲食店を利用するということも贅沢なハナシ。とりあえず椅子に座ってじっと待つことに。

時間が経つにつれて外もだんだん暗くなりはじめます。それと比例するように、空港からも段々と人が少なくなっていきました。職員も空港内の片付けやら清掃をしている。

「何かがおかしい。もしかすると夜には空港が閉まるのか?」

空港で一晩を過ごせばいいというアタマでいた自分にとって、空港が閉まるということは想定外。

スウェーデン語はちょっと勉強したものの、英語がほとんどできないので、できるだけ他人との接触を避けていたのですが、そうは言ってはいられない。ロシア人であろう職員をつかまえて、英語で尋ねてみる。

「何度もアナウンスして、あなたのことを呼び出していたよ」

そう言われてしまった。どうやら”トランジットホテル”というものがあって、一晩明けてからの飛行機の乗り継ぎをする旅客は、そのホテルへ行かなくてはいけなかったらしい。

後からインターネットで取ったチケットの明細を見てみると、トランジットホテル代として約5,000円が計上されている。トランジットホテルというシステムが世の中にあることを知らなかったわけです。

ではそのホテルにはどのように向かえばよかったかというと、とある通路を突き当たったところの壁に、英語で「トランジットホテルの利用者はここに集合」みたいなことが書いてあるパネルが大きく掲げてありました。

つまり、トランジットホテルを利用する予定の旅客はすでにホテルへ移動してしまったあとで、自分は空港に取り残された状態になっていたのですね。どうせなら、もう一人くらいトランジットホテル行きに失敗してくれている仲間がいれば、もう少し気がラクだったのに。

昔から学校の先生の言うことが理解できない&他人と違うことをしてしまうことが多いと感じていましたが、自分はルールに沿って動くことが苦手なようで。いや、「ルールに沿って」という以前に、そのルール自体に気が付けないことが多いのですが。

もうこうなったら身を委ねるしかない。この時点ではまだどうなるのかわかっていませんが、職員たちがこのイレギュラーな状況に対応すべく動き始めました。

「とりあえず、ここで待っていなさい」

しばらく待っていると、職員が迎えに来て、マイクロバスへ乗るように言われました。

バスのカーテンは閉め切りで、どうやら外の景色を見てはいけないらしい。なんか、自分が思い描いたロシアっぽさを裏切らないなと感じつつ、もちろんカーテンを閉めたままおとなしくバスに揺られていく。道中、ほんのちょっとできていたカーテンの隙間からIKEAの看板が見えたりして。

無事にバスがトランジットホテルに到着。自分が滞在するべき部屋に着いてみると、たしかにベッドはあるけれども、窓も時計もテレビもない部屋でした。そして、もちろん空港で預けてしまったからスーツケースもないので、着替えもない。食事も飲み物もない。歯ブラシもない。

自分が空港でちゃんと集合できなかったから、罰ゲームかな。もしトランジットホテルの様子がわかっていれば、いろいろと準備できていたのかもしれませんが。「窓すらないし、腕時計も持っていないから時間を知る術がないじゃん」と思った記憶があるのですが。当時は携帯電話は持っていなかったのかな。一時的に没収されていたのかな。とりあえず色々と不遇でした。

残念なことに、ここまでのトランジットホテルの部屋についたところまでの出来事は結構覚えているのに、ここから朝どうやって空港に戻ったかなどの記憶がないんですよね。…消されたのかも。

よく調べていなかったが故に状況が悪化していた可能性はありますが、結果的にこうして稀有な体験が得られたことはよかったと思います。ただ、1回やれば十分です。もう、モスクワ経由に手を出せないですな。

念のため、2000年代初頭の出来事であったことは重ねておきます。現在のモスクワ空港におけるトランジットはどういう状況になっていますかね。

リッラ・カッテンの絵本、雑貨、あと雑用を担当。本を読むことよりも、大量に並んだ背表紙や古い本の雰囲気が好き。つまり、あんまり本は読みません。葛飾出身の日本人。インスタグラムは「@lillakattenpaper
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