スウェーデンおもひで噺

スウェーデンおもひで噺@初めてスウェーデンに行ったときの噺(4)


初めてスウェーデンに行ったときの噺(4)

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大学の制度を通じてストックホルム大学に交換留学生として送ってもらうための選抜試験を目指してスウェーデン語を勉強することにしました。

しかし、1年と半年のあいだロクに勉強もせず成績は下から10番以内(当時の北欧文学科は100人強)、そしてまもなく2年生の後半が始まるという状況です。

交換留学の期間はおよそ10か月。大学を4年できっちりと卒業するためには、3年生の後半から留学期間をスタートさせなくてはなりませんが、そうすると1年間で成績を上位に持って行かなくてはならない。さすがにそれでは時間がなさすぎるので、4年生の後半からの留学に焦点を合わせることにしました。

つまり、4年生の後半から留学すると、留学から帰ってこられるのは5年生になってから。いわゆる計画留年というヤツなのかな。日本の就職活動は新卒採用が基本なので、就職には不利な状況になってしまいますが、とりあえず当時の自分の目標は留学することだけだったので、就職のことは何も考えずに決めました。

勝手に留年を決めたところで、まずは成績向上を実現させなくては何の意味もありません。スウェーデンから帰ってきてからの夏休みの残りを独学でのスウェーデン語学習に充てたことで、ある程度の下積みはできたかもしれませんが、それでスウェーデン語ができるようになるほど才能がある人間ではないし、そう甘くはないもの。

そこで、当時のスウェーデン語の授業を担当していた先生2人にお願いして、”付き人”のようなことをさせてもらうことにしました。1人は日本人の先生、もう1人はスウェーデン人の先生です。

スウェーデン語の基礎を教えてくれた先生

まず、日本人の先生。この先生がいてくれたから今の自分があるので、”師匠”とでもしておきます(ご本人のキャラ的に”師匠”なんて呼ばれ方は否定されるかもしれませんが)。いまでもスウェーデンに深く関わる仕事をしている方です。

師匠の授業の厳しさは生徒の間で有名でした。「大学の授業なんて出席しているだけで単位は取れるものでしょ」とタカを括っていると、この先生の授業は本当にテストで落とされます。「授業を甘くしてもスウェーデン語は身につかないし、それでは意味がない」というスタンスだったのです。

しかし、裏を返せばそれだけ熱心にスウェーデン語を教えてくれようとしている先生でした。どんなに厳しい授業でも、スウェーデンへの留学を目指すのであればこの先生の授業を避けることはできないので、もちろん受講しました。

どういう経緯だったか憶えていないのですが(もちろん自分から志願したのでしょうけれども)、授業後に頻繁に質問に行ったりしていたことがきっかけだったのかな。気が付けば目を掛けてもらえるようになり、放課後に先生が自分のためにスウェーデン語の授業を開いてくれるようになっていました。

「ホントは高いよ(笑)」なんて冗談を交えながら、それでも師匠の用事がない日には放課後必ずと言っていいほどスウェーデン語を教えてくれました。ホントは高い授業料の代わりに、自分はスウェーデン語力を伸ばすことによって師匠に報いることができればと頑張れた気がします。

やっぱり、教えれば教えるほど伸びる生徒の方が、教えていて楽しいわけで。そこは裏切りたくなかったし、師匠がスウェーデン語の先生として「一人のダメな生徒のスウェーデン語能力をここまで引き上げることができた」という実績や自信にしてもらえたらと、もちろん直接は言いませんでしたが自分なりにそう考えていました。

スウェーデン語の発音をイチから教えてくれた先生

そして、もう一人のスウェーデン語の先生が、スウェーデン第2の都市であるヨーテボリ出身のペートラ。彼女はとにかく背が高くて、かつてのあだ名は”ハシゴ”だったそうです。

1年生の後半からこのペートラが担当する授業枠はありましたが、たぶん当時に一番ペートラに怒られてたのは自分でした。遅刻したり、授業中に寝てしまったり。スウェーデン語だったので正確に何を言われているのかはわからなかったけれども、「やる気がないなら帰っていい」と言われたことも。

きっと生徒として最悪の印象を持たれていたでしょうけれども、ペートラの授業も受けないわけにはいかない。そして、こちらもどういう経緯でそうなったかきちんと憶えていませんが、日本語がほとんどできないペートラが授業で使う資料制作を放課後に手伝う役を買って出ることにしました。

資料をつくる手伝いをしながら、時間があるときにはスウェーデン語の発音をイチから直してもらったり。絵本の「100万回生きたねこ」をスウェーデン語訳して、添削してもらったり。

当時、ペートラが日本に来てから1年ほどだったので、日本の文化についてスウェーデン語で説明する機会もありました。これもまたいい訓練だったかもしれません。

振り返れば、とんでもなく贅沢な環境でスウェーデン語を学べたものだと思います。

当時は可能な限りの時間を先生たちと過ごすようにしていました。そして10分でも時間があればスウェーデン語の単語を覚える努力はしていましたし(エライな)。

まあ、謙遜でもなく言語の素質に関しては元々のデキが悪いので、どんなに優秀な講師陣に恵まれても、そこそこ止まりなのが申し訳ないのですが。

この2人の先生の存在には、今でも感謝しています。そして、その恩に報いるために自分には何ができるかと考えた結果が、スウェーデン洋菓子店であるリッラ・カッテンになっているのかもしれません。

結果論だけど。

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