ヨン・バウエル、トロールや妖精を幻想的に描いたスウェーデンの画家

短い生涯で多くの幻想的な作品を残した「John Bauerヨン・バウエル

20世紀初頭にスウェーデンで活躍した一人に「John Bauerヨン・バウエル」という画家がいました。彼を有名にしたのは、深い森と共に描かれた幻想的なトロールや妖精を中心に展開された世界観でした。36歳で死を迎えるという短い生涯でありながら、スウェーデンでいまだに大きな存在感を持つヨン・バウエルについて紹介します。

1901年ごろ「I skogenイ・スコーゲン(森のなか)」

ストックホルムの美術学校と、ヨンショーピングの森

1882年、スウェーデンで2番目に大きな湖であるヴェッテルン湖の南端に位置するJönköpingヨンショーピングに生まれたヨン・バウエル。子どもの頃から絵を描くことが好きで、その才能を伸ばすべく、両親は16歳のバウエルをストックホルムの美術学校へ入れることにしました。

ストックホルムでは7年ほどの間、Tekniska skolanテクニースカ・スコーラン(現Konstfackコンストファック)を含んだいくつかの美術学校へ通いつつ、時間があれば故郷であるヨンショーピングへ戻りました。そこでヨン・バウエルは森へ足を運び、自然のスケッチを重ねたのです。

Esther Ellqvistエステル・エルクヴィスト本人による自画像

美術学校の級友であるエステルとの結婚

1906年、ヨン・バウエルはEsther Ellqvistエステル・エルクヴィストと結婚をしました。彼女もまた画家であり、1900年よりスウェーデン王立美術院の級友でした。

1907年には「Bland tomtar och trollブランド・トムタル・オ・トロッル」への挿絵の仕事を得たことで画家として生計を立てていくことに対する不安を払拭できたのもあってか、1908年に2人は芸術家にとって長年の聖地とされていたイタリアに2年ほど滞在しました。上のスケッチは1909年にローマで描かれたものですが、ローマの他にもフィレンツェ、シエナ、ナポリ、カプリ島に滞在したようです。

1915年、夫妻の間にはBengtベングトという名の息子が生まれました。ベングトは両親からPutteプッテと呼ばれ可愛がられ、妻のエステルとプッテは共に多くのヨン・バウエル作品のキャラクターにモデルとして登場したとされています。

1913「Ännu sitter Tuvstarr kvar och ser ner i vattnet」

Bland tomtar och trollブランド・トムタル・オ・トロッル」の挿絵家として得た名声

当時、1900年初頭にはまだ子供向けの読み物が多くなかった時代、せめてクリスマスの時期にでも子供が楽しめる読み物を与えようという思想の下で「Bland Tomtar och Trollブランド・トムタル・オ・トロッル(妖精とトロールに囲まれて)」という子供向け雑誌が刊行されます。それは1907年のこと。そして、掲載される物語に添える挿絵をヨン・バウエルが担当することになりました。

雑誌名のとおり、掲載される物語のほとんどは妖精やトロールを中心に扱った作品でした。ヨン・バウエルの描いた幻想的な自然、妖精やトロールのイラストは、スウェーデンにおける彼の名を一躍有名なものとしたのです。

なかでも有名なのは、「Sagan om älgtjuren Skutt och lilla prinsessan Tuvstarr(雄のヘラジカスクットと小さなお姫様テューブスタッルのお話)」という作品で描かれた挿絵。物語そのものよりも、ヨン・バウエルによる挿絵の方が知名度が高いともされています。

上記の絵は「Ännu sitter Tuvstarr kvar och ser ner i vattnet」というタイトルが付けられているもので、日本語では「テューブスタッル姫はいまでも座って水のなかを眺めている」といった意味になります。沼に落としてしまった金のハートが付いた首輪を見つけようと沼のほとりに座っていつまでも探し続けているシーンです。

そして、カールした金髪からも伺えるようにこのテューブスタッル姫のモデルは妻のエステルだったとされています。このようにヨン・バウエルの作品には彼自身の家族がモデルとなったキャラクターが時折登場しました。

1917「rottrollenルートトロッレン(根のトロールたち)」

ヨン・バウエルの一家を襲った悲劇的な結末

仕事にのめりこむヨン・バウエルに対して、そしてヨンショーピング郊外の田舎暮らしという住環境に対して、妻のエステルは次第に不満を募らせるようになりました。互いの溝が深まる環境を変えるべく、ついにエステルの念願であったストックホルム郊外にあるDjursholmユーシュホルムに建てた一軒家へと引っ越すことなりました。

引っ越しのころに大きな鉄道事故があったため、それを警戒して船での移動をすることにしました。1918年11月20日、ヨン、エステル、そしてプッテの一家3人はストックホルムに向かうため、地元の港からヴェッテルン湖を渡る船に乗り込みます。しかし、その日は酷い嵐の日であったこと、そして船に載せられた荷物が多すぎたことから、船は転覆してしまったのです。一家を含んだ乗員24名は帰らぬ人となりました。ヨン・バウエルが36歳のときでした。

湖底に沈んだ船は4年後に引き揚げられ、有料公開されましたが、人々の間にはヨン・バウエルの突然の死と妖精やトロールたちの迷信を結びつけるような噂も流れたようです。

Jönköpings läns museumヨンショーピングス・レーンス・ミュセウム(ヨンショーピング県立美術館)の外観

ヨン・バウエルの作品が展示される県立美術館

スウェーデン第2の規模を誇るVätternヴェッテルン湖の南部に位置するヨンショーピングにある県立美術館「Jönköpings läns museumヨンショーピングス・レーンス・ミュセウム」では、ヨン・バウエルの故郷ということもあり、多くの作品が展示されています。

それほど大きな都市ではありませんが、首都ストックホルムと第二の都市ヨーテボリのちょうど中間に位置しているので、ついでに立ち寄ってみるのもいいですね。

リッラ・カッテンの絵本、雑貨、あと雑用を担当。本を読むことよりも、大量に並んだ背表紙や古い本の雰囲気が好き。つまり、あんまり本は読みません。葛飾出身の日本人。インスタグラムは「@lillakattenpaper
2024 © スウェーデン菓子「リッラ・カッテン」