ビョルネン日報@18年02月08日(木)くもり

18年02月08日(木)くもり。今日一日、お店であったあんなことやこんなことだったり、思ったことなどを綴ります。

ほとんど同じ名前が並んでしまって紛らわしいですが、2月17日(土)18時から開催する「スウェコミュ(夜)」のお申込みページをつくりました。普段は営業していない日が落ちてからのリッラ・カッテン店内でのリラックスしたスウェーデン語トーク、昼間とはちがう雰囲気です。そしてリッラ・カッテンのスウェーデン語レッスン系イベントにおいて、自分が唯一担当している時間だったりします(場のフォロー役だけど)。

スウェーデンのヨーテボリに住んでいるリカードとスカイプでのコミュニケーション、これをきっかけにスウェーデンを訪れた際に彼の下を訪ねたり、逆に彼が日本に来た時に交流が持てたり。スウェーデンに住んでいるスウェーデン人の知人がいない方にとっても、新しい出会いのきっかけになるかもしれません。

今日もまかないシナモンロール

昨日のつづき。スウェーデン洋菓子まったく関係ありません。

さらに結構長文になってしまったので、途中で読むのを止めてしまう方がでることも必至。まあ自分の文章レベルアップのための修行の回と捉え、恥を忍んで長文のままお届けしてみます(いつものように推敲なし)。

以下、本編。

手術予定時間として聞かされていた4時間やら5時間を過ぎ、6時間経っても病院からの音沙汰はなし。日頃から隠密行動をモットーに日陰で過ごしている自分のことだから、もしかしたら忘れられていてもおかしくないなと覚悟はしていました。

日が落ちてもまだナースステーションから連絡がなければ状況を聞きに行こうと考えていた午後3時前、ようやく「ご家族の方いらっしゃいますか」と声を掛けて回る看護師の方が登場。フードコートのように呼び出しベルでも用意しておけばいいのに、とココロのなかでツイート。

「ICUから連絡がありましたので」とのこと。手術が終わったあと、容態の無事が判明するまではICUに1日ほど滞在することは決まっていました。別に何か問題があったというわけではなく、手術も無事に終わったということです。

それにしても病院のなかでなぜ『集中治療室』だけ『ICU』なんて略語にするんだろうか。病院側はしれっと説明もなしに「ICU」という単語を随所にちりばめてくるけれども、絶対に「ICUってなに?」と思いながらハナシを聞いているヒトもいるだろうに。ちゃんと日本語で「集中治療室」と呼ぶか、もしくは略語で呼ぶなら略語で呼ぶで、全部3文字アルファベットにすればいいのに、とココロのなかでツイート。

待機していた部屋から看護師の方の後ろについてICUの入口である扉の前まで移動。「ここでお待ちください」と言われ、ICUへの入り口はスグそこにあるというのに、椅子でさらに数十分待たされる。

ようやくICUの扉からヒトが出てきて呼ばれ、扉のなかに入ると、そこには上のフロアにつながる階段とロッカーが数基ほどだけ。

「親方!ICUの入り口を5階につくったんですけど、実はICUは6階でした!すんません!」
「おい、なにやってんだ!あれほど設計図をしっかり確認しとけって言ったじゃねぇか!」
「すんません、うっか…」
「うっかりじゃ済まされねぇんだよ。階段でもつけてごまかしとけ!」
「へい!」

…という流れで出来上がったスペースですね、きっと。

病院の不思議なシステムに翻弄されつつ、ICUのフロアに(ICUが何かはよくわかっていません)。そのフロアの奥に通され、「先生が来るまでこちらでお待ちください」とのこと。この細切れになった待ち時間はひとつにまとめることはできないものなのか。先生がちゃんとスタンバイできてから呼んでくれてもいいんじゃなかろうか。

大病院に不似合いな、安そうな壁掛け時計を眺めながら、ふと思う。

「ハシビロコウって偉いんだな」

ハシビロコウは、獲物を待っている間はほとんど動かない大きな鳥。自分もハシビロコウの気持ちになってジッと待ってみる。あとは「この部屋に10日間閉じ込められることになったら、何をしてヒマをつぶすのがイチバンか」なんてことを考えたり。

そんなこんなで、ひとりで”ハシビロコウごっこ”をしていると30分以上が過ぎていました。”ハシビロコウごっこ”は、結構ヒマつぶしになるものでオススメです。

やがて執刀医の先生が来て、いろいろ説明してくれましたが、特に面白いハナシでもないので省略。先生のハナシが終わると、「では面会の準備をしてきます」というセリフを残し、また部屋にヒトリで20分ほど待たされる。

全身麻酔が抜けきらずに意識が朦朧としている母との面会にたどり着いたのは午後4時20分。病院に着いてからおおよそ8時間20分ほどの任務もこれにて終了、本人も大きな問題なさそうだし帰ることにしました(今日、電話をした感じではフツウに会話ができる程度まで回復していましたのでご安心を)。

時刻は間もなく帰宅ラッシュに重なる時間。どこかに寄り道していたら完全に巻き込まれるので、とりあえず横浜まで急いで帰る。でもなんとなく真っすぐ帰るのももったいない気がしたので、横浜のブックオフに立ち寄ることにしました。

というのも、手術を待っている間に読んでいた某俳優のエッセイの出来の悪さが消化不良気味で、何かもっと良質な文章に触れたくなったのです。一応のフォローですが、このエッセイを読んだことは決してムダではありません。自分が認めるものばかりに触れるだけでなく、「コレは違うな」と感じるものにも触れておくべきだと思うので、これはこれでいい読書経験でした。

ちなみに自分はそれまで読書家というわけではありません。自分の文章を形成してきた知識の主軸は”漫画”と”国語の問題で取り上げられた堅苦しい文章”の2つであり、人生でフィクション作品にはほとんど触れてきませんでした。でも毎日こうして文章を書かなくてはいけない立場に(勝手に)なってしまったので、やはり欲が出てきてしまいました。もうちょっと上手く文章を書けるようになれたらいいな、という欲が。

横浜から金沢八景までの電車内で時間をつぶせる雑誌やら本くらい見つかればいいなと軽い気持ちで店内をふらついていたんですけどね。「あ、これはスウェーデンのラジオで紹介されていた本だから読んでみよう」とか、「この作品のアニメは面白かったから、原作を読んでみよう」とか、「デザインの仕事をメインでやっていたときは、世の有名デザイナーの著書をよく読んでいたな」とか。どんどん買いたい本が積み重なっていき、10冊になったところで「これ以上は重い」と、物理的な理由により選書をギブアップすることに。

それにしても、10冊も手に取っておいて2,000円ちょっとというのだから。なんだかいろいろな業界の行く末が心配になってしまう。

さて。章立てしていないので、ここでムリヤリ最後のまとめを差し込むことになってしまいますけど。

20代のときと比べて、人生も30代、40代と進んでいくと、病院との接点が増えてくるものだなと、つくづく思います。自身も昨年初めて救急車で入院という体験をしましたし。親世代の衰えもありますし、自分自身の衰えもありますし、若い時分には目をつむっていた病院の存在が否応なしに身近になってしまいました。

病院ってなんだか不思議な空間です。患者一人ひとりにとっては人生の転換期なのに、医師や看護師にとっては日常であるというギャップ。そして自分が本を読んでいる一方で、誰かが手術を受けていたり。なんか、いろんな人間模様が渦巻いていて、ここに書いている以上にいろいろと考えてしまいました。考えすぎてしまった結果、いつものリッラ・カッテンの様子を書くことをお休みしてまで自分の受けた印象を書き留めておこうと思ったわけです。

なんだか朝のゲートボール場での会話の内容みたいですが、病院のお世話になることはできる限り遠慮願いたいものです。

ビョルネン・ソベル

リッラ・カッテンの絵本、雑貨、あと雑用を担当。本を読むことよりも、大量に並んだ背表紙や古い本の雰囲気が好き。つまり、あんまり本は読みません。葛飾出身の日本人。インスタグラムは「@lillakattenpaper

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